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留学体験記(英語圏) 松岡みなみ
 松岡みなみさんは2004年2月から2005年3月までオーストラリアのグリフィス大学に留学しました。グリフィス大学はクイーンズランド州、ブリスベン郊外にあり、学生数28,000人を擁し、その教育方法や研究は国際的に高い評価を受けている大学です。

 留学を決意したのは高校3年生の時。当時、カナダへ2週間のホームステイプログラムに参加して全く英語が使えない自分に気づき、大学では必ず一年間留学をしようと心に決めました。大学3年間、アメリカの大学へ留学するための英語力判定試験であるTOEFL(トーフル)対策を始め、留学準備に取り組み、最終的に奨学金留学が決まったときは本当にうれしかったです。

 3月、オーストラリア、ブリスベン。私の留学生活の始まり。

 留学先のグリフィス大学付属の語学学校に通い、スピーキング、ライティング、リスニング、グラマーと毎日勉強しました。学部に入ることを目標としていましたが、留学生の英語力判定試験であるIELTS(アイエルツ)のスコアが思うように伸びず、会話力を伸ばすこと、グラマーの基礎をしっかり身に付けることに重点を移して勉強に励みました。今ではグラマーにはちょっと自信があります。12月にはケンブリッジ・ファースト・サーティフィケートのコースにも入ることができ、検定試験に合格することができました。日本では取得出来ないこの資格は、イギリス英語を使う国ではとても重要視されている、日本で言うTOEICのような存在です。学校には中国人、韓国人、スペイン人、ドイツ人など色々な国籍の人たちが集まってきます。コースの終わりにはインターナショナル・パーティーというのがあり、それぞれ自分の国の料理を持ち寄って異文化を楽しむこともできました。私が一番印象に残っているのはタイ人が作ったグリーン・カレー。凄くおいしくて、本人にレシピも教わりました。

 滞在ではホームステイとシェアハウスとどちらも体験しました。ホームステイではオーストラリア人の家族と生活することができ、あちらの日常生活を体験することができました。家にはよくトカゲが出て、それを怖がる私を笑ってみていたママ。さすがにオーストラリアには見たことがないような虫がいるなとよく思っていました。学校にも大きなトカゲのような爬虫類が生息していてかなり怖かったし、なぜあんなものが学校にいるのか上思議でした。 シェアハウスでは台湾人と香港人と3人で一緒に生活していました。ネイティブ・スピーカーであるオーストラリア人と話すのとは違い、気負いすることなく英語を使えたので会話力も難なく伸ばすことができたと思います。自分たちでスーパーに買い物にも行き、ホームステイで生活するよりも自分で生活しているという感覚が強く、いい経験になりました。とても仲の良い友達もできて、休みの日は一緒に買い物に行き、コーヒー・ショップでお話したりとてもいい思い出です。今は向こうでよく飲んでいたアイスチョコがとても恋しく、あの甘ったるい味をもう一度味わいたいなと思っています。

 留学経験を通して学んだことは、伝えようと思う熱意があれば言葉は拙くても伝えることができるという事。英語はぺらぺらでなくてもオーストラリア人は理解してくれるし、中国人と日本人という、どちらも上手に英語が話せない場合であっても、思いは何となくでも伝わるという事。色々な国籍の人に出会うことは日本にいてもきっとできるし、異文化も体験することはできると思います。ただ恥ずかしがらずに自分を主張するということを私はこの留学を通して学んだと思います。これからもたくさんの人と出会って、もっと自分を成長させることができればと思っています。英語にとどまらず中国語にも興味がわき、現在中国語の勉強に励んでいます。


留学体験記(中国語圏) 内山小百合
 内山小百合さんは2004年2月より2005年2月まで中国 清華大学に留学しました。

 生まれて初めて行った中国、そして清華大学での留学はあっという間の1年間でした。本当に楽しかったです。大きなトラブルや悩み事もなく、日本に戻らなければ行けないのが嫌でたまりませんでした。それも私の留学を支えて下さった先生方や国際交流センターのみなさん、友人、先輩、そして家族のおかげです。ありがとうございました。
 私よりも早く清華大学に留学されていた大東文化大学大学院(当時)の沼尻俊裕さんと曽我咲香さんは中国文学を専攻する先輩です。私が中国に行くまでお会いしたことがなかったのにも関わらず、私の為に準備の頃からたくさんメールで相談に乗って頂きました。北京に着いた日、咲香さんが空港まで迎えに来てくださいました。咲香さんはとても優しく、学校での手続きや案内、両替などまだ何もわからなかった私を助けて下さいました。

 留学生活の大まかな内容は留学報告書に記載しましたので、ここでは特に心に残っていることを書きたいと思います。

第一学期(2004年2月中旬~6月)

①留学生寮
 私は寮の二人部屋に住みました。入寮時、私は係員に「日本人と一緒の部屋にしないで下さい!《と頼みました。せっかく中国に来たのですから、外国の友達と一緒に住んでみたいと思ったからです。そこで同じ部屋になったのが韓国の郭智鮮(カク・チソン)さんです。ちそんは私と同い年ですが私より半年早く清華で勉強しており、共同生活に必要なものを揃えてくれました。お互い話す言葉は中国語でしたが意思疎通には問題ありませんでした。驚いたことに、趣味や好きな歌手などが偶然一緒で、彼女とは買い物やカラオケなどに行ったりとまるで前から友達だったかのように過ごしました。私の誕生日には寮生活に必要な布団をプレゼントしてくれました。その他日本、韓国、中国のものの考え方や性格について話したり、自分の将来について話すこともありました。そして私達が大好きな歌手の張恵妹と孫燕姿のコンサートにも行きました。5月の連休にはちそんの前のルームメートだった韓国のお姉さんと3人で青島旅行に行きました。青島では私が1年次に山東大学より大東に留学していた杜紀遠さんとも再会することができました。
 寮生活をする学生の中にはルームメートと性格が合わなかったり、慣れない外国での共同生活ができない人も多くいました。しかし私とちそんは全然そのような問題がなく、毎日楽しく過ごしました。

②授業
 清華の漢語班は初級Ⅰ,Ⅱ、中級Ⅰ,Ⅱ、高級Ⅰ,Ⅱという6つのクラスがありました。初めにクラス分けのテストがあり、私は中級Ⅱ班になりました。高級Ⅰ班も少し覗いてみましたがやはり中級班の方が自分に合い、このクラスで半年間勉強しました。教科は口语(会話)、听力(聴解)、综合汉语(総合)、泛读(読解)の4つです。韓国、アメリカ、インドネシア、タイ、フランス、そして日本から来た15人の学生が集まった国際色豊かなクラスでした。クラスの雰囲気はとても良く、ほとんど毎週末食事に出かけていました。それは他のクラスの学生がうらやましがるほどです。若くてユニークな先生もおり、一緒に遊びに行くこともありました。中でも会話の先生の実家が瑠璃广にある「栄宝斎《という有吊な骨董品の老舗で、工場を見学させていただいた時は感激しました。その日偶然テレビの取材で来ていた前NHK中国語会話の講師である相原茂先生にもお会いしました。

このように初めての中国生活でしたが困ったことはなく、中国語能力も会話と聴解がぐんと伸びました。

夏休み(7月~9月中旬)

 ちそんが9月から北京大学で勉強することになり、学外へ引っ越しました。それに合わせて私も学外のアパートへと引っ越しました。留学生寮は外国人を相手にしているため、寮費がとても高かったからです。次のルームメートは同じクラスだったオーストラリアのメリッサです。学外のアパートは留学生寮よりも安くて広いです。学校までは自転車で通いましたが、自由な生活ができるのでとても快適でした。
 8月には日本語学科の留学生が北京に遊びに来てくれました。留学前、まさか留学生と中国語で話ができるようになるとは思っていませんでしたが、普通に話している自分がいました。このとき初めて中国語の上達を実感することができました。そして杜さんと同じく1年次に北京外国語大学から交換留学で来ていた趙韜さんも呼んで同窓会のように久しぶりの再会を喜びました。

夏休み(7月~9月中旬)

1.授業
 長かった夏休みが終わり、私は一つ上のクラス「高級Ⅰ《に上がりました。高級班ということもあり、授業もぐんと難しくなり最初は予習が大変でした。教科は口语、综合汉语、报刊(新聞)、词汇(語彙)、写作(作文)の5科目になりました。新しいクラスはタイ、インドネシア、アメリカ、マレーシア、韓国、日本の学生が13人集まり、真面目ながらも和気あいあいとした雰囲気が印象的でした。会話の授業では討論をする機会が多くあり、国の違うクラスメートと話すのはとても興味深いものでした。この学期もとても楽しく勉強することができました。そこで私はクラス全員と先生方にお願いして、今学期の思い出や10年後の自分について作文を書いてもらい、文集を作りました。10年後、また清華で再会できたらどんなにすばらしいでしょう!これは一生の宝物になりました。

2.首都外国留学生文芸晩会
 12月に北京大学で「2005首都外国留学生文芸晩会《という行事がありました。これは中国政府の行事として、北京で勉強する外国人留学生が中国の歌やダンス、劇などを披露するものです。10月に清華でも募集があり、私は迷うことなく参加しました。清華大学はチベット舞踊を踊ることになりました。オーディションに合格しなければ出場することはできません。週2回の練習でできるかどうか心配でしたが、先生や参加している学生と共に意見を出し合いながら完成させました。そして無事、多くの来賓やお客さんの前で踊りきることができました。この文芸晩会の模様はDVDになり、もう一つの宝物になりました。

3.日本語学科での実習
 私の専攻は日本語ですから、1学期よりずっと清華の日本語学科の授業にも参加していました。普段の授業だけでなくスピーチ大会の練習の手伝いや審査員を行ったり、また秋に北京大学日本語学科と合同で行われた「中日交流週《では中国人学生と一緒に学芸会と交流会の司会を務めました。それだけでなく、日本人の先生と北京日本語教師会に参加し、日本語教育の現場に触れる機会が多くありました。そして実際に清華の日本語の授業で模擬授業や実習の機会もいただきました。海外で日本語教育の場を身近に感じることができたのは日本語学科の学生と先生方のおかげです。日本語を客観的に見ることができるようになりました。

冬休み(2005年1月中旬~2月中旬)

 長いようで短かった留学生活もあっという間に終わってしまいました。すぐに帰ってしまう友達もいましたが、私は帰国するのが嫌でずっと残っていたかったです。この1ヶ月の間に長春、上海、杭州に行きました。長春では日本語学科の先輩が日本語教師をしています。9月にも行きましたが、先輩に会うことと氷祭りを見るために行って来ました。冬の長春はマイナス20度以上あります。ももひきを2枚はいても寒かったです。
 2月の上旬からは上海に行きました。一学期に清華で相互学習をしていた友達や以前大東に留学していた胡静怡さんの家にホームスティをしながら初めての上海を楽しみました。上海は北京よりも暖かく、また顔つきも日本人と似ていて親しみが湧きました。そしてそのまま杭州へ行きました。杭州には清華で私のパートナーだった日本語学科の王佳さんの家に泊まりました。そしてそこで春節を迎えました。王佳さんの住む村は田んぼと茶畑に囲まれた農村です。そのため中国の伝統的な正月料理を食べたりや爆竹を鳴らしたり、本場の春節を体験することができました。
 そして中国を発つ少し前には長春にいる先輩が北京の私の部屋に遊びに来て下さりました。先輩は「やっぱ都会は違うねぇ《と満喫しているようでした。私も尊敬している先輩と北京で会うことができ、中国に来て本当に良かったと思いました。

韓国旅行(2月中旬~3月1日)

 北京から私の地元まで飛行機で帰るには韓国仁川を経由しなければなりません。そこで私はそれを利用して韓国旅行をしました。ちそんの家と大東の交換留学生だった朴そよんさんの家に泊まらせてもらいました。そして同じく大東交換留学生だった白珠榮さんとも再会することができました。韓国にも立ち寄ることによって中国、日本との文化の相違点や同じ部分を知ることができました。

 そして3月1日、無事日本に帰国しました。

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